徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

福山雅治の曲「零 -ZERO-」に対する反論

福山雅治は正義が零になる可能性を探しているが、

人それぞれ自分の正義を持っていないといけないと思う。

自分の正義が自我という悪に基づく正義だとしても、それは存在意義なので、それを失うというのは、自らの身を食べて貰う犠牲者でしかなしえない。

犠牲者を出さないためにも、自分の正気を持って、悪が根源だとしても正義を持つべきだと思う。

どうしても悪になりたくないのであれば、自分の身を捧げ命を捨てるしかないと思う。

正義は悪が根源だけれど、悪が頭を出さないように対立するものとして考えられるべきものと思う。国同士の正義と正義のぶつかり合いでも国民にとっては被害でしかない。

正義の根源は悪だと割り切って、悪に自由を渡さないことを考えることではないかと思う。悪の根ざしていない正義は寝言だと思う。

国の正義は国民の命を預かるということ。性悪説で言うが、国民が命が惜しければそこに悪はあるので、悪をまとめないといけない。そこに国家としての正義が問われる。これの延長だと、正義のつながりは悪のつながりでもある。悪は支配するがそれを止めるのが正義。