徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

「日本的霊性」鈴木大拙著(岩波文庫)を読みながら、、、(続く)

日本人は古来は素朴な自然児であった。平安時代を経て鎌倉時代に入って、初めて宗教的衝動を起こした、即ち日本的霊性の目覚めがほの見えた。この衝動の結果として、一方には伊勢神道なるものが起こり、他方には浄土系統の仏教が唱えられるようになった。日本人はこのとき初めて宗教に目覚めみずからの霊性に気付いた。(本文より)

万葉集の中から見えるのは、まだそれがみどりご(産まれたばかりの子供)的であり、幼い様子しか見えなかった。

平安時代に入り、貴族たちは享楽的生活を送り、その生活の中で甘えしか見えないそうである。貴族たちの行うこと(政治、学問、芸術など)が形式的になり硬化する。当時の貴族たちはその恵まれた生活に甘んじる傾向が強かったみたいだ。

 

天日は有難いに相違ない。またこれなくては生命はない。生命はみな天をさしている。が、根はどうしても大地におろさねばならぬ。大地に係わりのない生命は、本当の意味で生きていない。天は畏るべきだが、大地は親しむべく愛すべきである。大地はいくら踏んでも叩いても怒らぬ。生まれるも大地からだ。死ねば固よりそこに帰る。天はどうしても仰がねばならぬ。自分を引き取ってはくれぬ。天は遠い、地は近い。大地はどうしても母である、愛の大地である。これほど具体的なものはない。宗教は実にこの具体的なものからでないと発生しない。霊性奥の院は、実に大地の座に在る。平安人は自然の美しさと哀れさを感じたが、大地に対しての努力・親しみ・安心を知らなかった。従って大地の限りなき愛、その包容性、何事も許してくれる母性に触れ得なかった。天日は死した屍を腐らす、醜きもの穢らわしいものにする。が、大地はそんなものをことごとく受け入れて何らの不平も言わぬ。かえってそれらを綺麗なものにして、新しき生命の息を吹きかえらしめる。平安人は美しき女を愛して抱きしめたが、死んだ子をも抱き取る慈母を忘れた。彼らの文化のどこにも宗教の見えないのは、固より然るべき次第である。 人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて農産物の収穫に努める。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ、大地はこれを助ける。(中略)大地は、人間にとりて大教育者である、大訓練師である。人間は、これによりてみずからの完成をどれほど遂げたことであろうぞ。 それから人間は、大地によるが故に天日の恩を知ることができる。天照らす天日の力を、大地なくては感ぜられぬ。大地は人間の呼びかけに直接に応えるが、天日は遠くして手が届かぬ。祈りは捧げられるが、それ以上は人間の力は及ばぬ。人間は、天に対しては絶対に受動的である。天は畏るべきほどに、愛せられぬ。人間は、天に対して承服を知るのみである。もし天の愛に親しみ得られることがあるとすれば、それは大地を通してである。天との直接の交渉では、天意の行動をそのままに受け入れるよりほかない。(中略)単にこの身の気持ちがよいだけでは、天日の有難さは普遍性を持ち得ぬ。大地と共にその恵みを受ける時に、天日はこの身、この一個の人間の外に出て、その愛の平等性を肯定する。本当の愛は、個人的なるものの奥に、我も人もというところがなくてはいけない。ここに宗教がある、霊性の生活がある。天日だけでは宗教意識は呼びさまされぬ、大地を通さねばならぬ。大地を通すというのは、大地と人間と感応道交の在るところを通すとの義である。中空にぶらりとさがっていては、天日の恵みも何もわからぬ。足が大地に着いていて、そしてその大地はまた、自分の手をなんとかして又いくらか加え得るものであるが故に、それを通して天日が感ぜられる。天の行動はかくして、大地によりて人間と交渉してくる。天に対する宗教意識は、ただ天だけでは生まれてこない。天が大地におりて来るとき、人間はその手に触れることができる。天の暖かさを人間が知るのは、事実その手に触れてからである。大地の耕される可能性は、天の光が地に落ちて来るということがあるからである。それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間ー即ち農民の中から出るときに、最も真実性を持つ。大宮人は大地を知らぬ、知り能わぬ。彼らの大地は観念である、歌の上、物語の上でのみ触れられる影法師である。それゆえ平安の情緒は宗教とかなりに隔たりのあるものである。仏教者という人々の間でも、宗教は出世の媒介こそなれ、自分の心の奥へ分け入るしおりにはならなかった。南都北嶺の仏教、いずれも人間的真実性を欠いている、直接に大地に触れていないからである。四百年の冬眠はずいぶん長いが、歴史的・政治的・地理的諸条件は、それを余儀なくせしめた。しかしこの眠りは無駄ではなかった。(本文より)

 平安時代は一方では大宮人が恋のあわれの優しいの床しいのという観念世界に寝たり起きたりすることを許していたが、また他の一方ー即ち地方では、農民と武士をして大地と最も直接な交渉を続け得ることにした。後者はその故に生命に直面していたのである。(本文より)

 

こうして平安時代に地方にて霊性醸造された。

 

欽明天皇の時代には宗教は入っては来ていて、平安時代には貴族の方では、弘法大師伝教大師が宗教意識を呼び起こしたが、大地との会話が十分ではなかった。そうだ。

 

大地と自分とは一つものである。大地の底は、自分の存在の底である。(本文より)

 

平安時代は、あまりに人間的であった。鎌倉時代は、霊の自然・大地の自然が、日本人をしてその本来のものに還らしめたと言ってよい。(本文より)

 

鎌倉時代に蒙古来襲による日本国の危機から、またそれまでの政治の腐敗という、内外の生命の危機から日本的霊性が磨かれた。

神道が政治的意味合い、仏教が教伝的意味合いで、きちんとした体制になっていった。

親鸞上人、法然上人の教えは日本的霊性を定着させた。そうだ。