徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

「日本的霊性」鈴木大拙著(岩波文庫)を読みながら。(続く)

現在、鈴木大拙氏の「日本的霊性」という本を読んでいる。

「普通の意味の「精神」とは、自己の正体に触れていない。」ということは、よく自分を見つめるとそうだな。と思った。

一人で精神について考える際は、自分の外を向いていて、自分には触れていない気がする。そういうことを書いてるのだな。と面白い。

(個人の霊性はその宗教的体験による覚醒をもってしか現れないらしい、外の宗教に対する憧れではない。個人の精神に必ずつきまとう自我を自覚しながらも、死生観を個人的に反芻してまた逆境により身体感覚に近づけていくことかと私は思う。逆境は自ら飛び込むものではない、恵まれているのにそれを否定するのはよくないと私は思う。恵まれているなら恵まれていない人のためにできることをした方がよい。自分の立場をよく自覚することが身体感覚に含まれる。宗教の心を理解することが帰依だと思うが、憧れから入ったとしても、自我の思うまま振る舞うことでははないと私は思う。自我は性悪だからだ。悪のまま行動するのはただの反社会勢力なので政治的に抑えられてしかるべき。悪が金をつくるのはよく知っているが、私は個人悪は外の巨悪を制するために使うべきと考える。しかし、外は全て悪ではもちろんない。悪行を許す世の中も悲観する。悪に善をもって対しても意味がない、悪は死など屁でもない。悪には悪で対さねばならぬ。その為に自分の中の悪をよく自覚しなければならないと私は思う。それでもできるだけ外に悪を行使したくない。悪は自分の勢力と見るとわかりやすいかも知れない。私は政治家は嫌いです。)

また、日本的霊性が「莫妄想」的であるというのも興味深いし、自分以外の人たちの日本人の考え方を見るとこのようであるのが微笑ましい。

日本は古来、神道が宗教意識としてあったが、聖徳太子が仏教を取り入れたことで慈悲深さをもって国を治めようとなさったのだ。という事実に感動し、

天皇皇后両陛下は慈悲の涙を流しながら我々の行動を喜んでおられるのではないか?と一人思ってしまった。