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徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

自己紹介、、、内省ですが、、、

今回は、私は初心に戻って内省を書こうと思います。

 

何度も内省は書いているので、何度か読まれた方は飛ばしてください。

新しく友達ができたので、その人へ私が学生時代何を感じて生きていたか?を丁寧に書こうと思います。

 

私は水分小学校へ小6から転校してきました。

経済的に裕福でしたので、自慢ばかりする男の子でその事で、ちょっといじめられたこともあります。

小6のマラソン大会も、自分が全部走りきれなかったので、ラストランナーで最終選手というのが恥ずかしかったので、最後の最後で途中棄権しました。

又、学業面では算数で1番になりました。

「至誠塾」に入り、算数、数学だけ中学時代も人より少しレベルの高い問題を解いていました。他の教科、国語、社会はかなり死んでいました。英語と理科はまあ、出来る方だったかな?とは思うものの、バランスはその頃から理系バカでした。

 

中学時代は、ヤンキーと呼ばれる人とは違う層のレベルの低いと言っては失礼だけれども、ぱっとしない人たちを私がほとんど集めて私の周辺に笑わせるのが得意な人と一緒にみんなでワイワイやっていた覚えがあります。ガキ大将じゃないけれど、エリートヤンキーには触れないで、下の人たちを一手に私が面倒を見ていると言い切ってしまえば、そうだったように感じます。

 

そして、かなりのゲーマーでゲーム音楽にそこから傾倒してました。日本ファルコムゲーム音楽が好きでした。かなりCDも集めてました。そして、ゲーム音楽の元祖というべき、コンピュータ音楽を始めたYMOに傾倒してました。

 

今でも、ツイッターのアカウントにRydeenを使わせてもらってます。

中学時代も高校時代も、現在も異性に対しては、どう振る舞えばモテるのか?が実質わかってません。私の場合どうしてもレベルの低いと言っては失礼になりますが、男子も女子もモテない人を惹きつけるので、高校デビューを果たそうと、中学までブ男だったデブ体質から痩せたまでは良かったのですが、ルックスが変わってから女子の視線が変わったことに気づいて、そこでそういうものかと思っておけば良かったのかもしれませんが、「所詮見た目か」と思い、そのことに対して、受け入れなかった私の方がひねくれていました。

と言っても、目立つことに華々しく思っていた潜在意識もあったので、高校時代はその痩せるためのハンドボール部と(ハンド部のみんなごめんね)軽音楽部でドラムを始めました。文化祭でバンドデビューも果たせました。

 

その頃も、数学だけは地道に行き帰りの電車の中で参考書を読んで、数学の底上げをしていました。そのおかげで、高1の学力テストの数学は理数科の人を抜き1位になり、それも調子にのらせました。ゲーマーを中学で卒業していたので、数学ほぼ一本でやっていたので、高校3年まで物理もセンターレベルは60点代と低かったのですが、「物理のエッセンス」という参考書で一気に90点代まで登ることができました。それから、国語、社会の授業の時も先生も容認で数学や物理の問題を解くことを許してもらってました。

 

高校3年の時に、まだルックスは保ててたので、一目惚れの女の子に告白して、3日越しに告白を受け入れてもらい付き合うことになりました。その女の子とは彼女が大学を卒業するまで紆余曲折ありながら付き合いました。

 

私は高校の終わりには、早稲田が第一志望になていました。で、センター試験を、英語・数学・物理・化学をうけて、東京大学の後期も受けられるレベルだったので、東大後期と早稲田、東京理科、立教のそれぞれ理学部数学科を受けて、後者二つは受かったものの、前者二つに落ち、早稲田ブランドに目がくらんでいた私は後者を蹴って、一浪。その間に、大蔵官僚の不祥事発覚というニュースでエリート志向が嫌になり、付き合っていた彼女の入った福岡大学へ入学。しかし、私は数学の世界の住人で、学風に馴染めず、一年行って、一年休学、その後中退。それから、数学の基礎論を独自に研究。アルバイトのために上京。

 

上京生活が私の精神疾患を始めました。統合失調症と呼ばれる病気の注察妄想と呼ばれる、四六時中マスコミに監視されている感覚に陥ることになり、両親に久留米に戻され、すぐに精神科に入院。しかし、荒治療で薬と注射を大量に投薬され、記憶はぶっ飛ぶは、数学の簡単な計算も合わなくなり、数学の技術面はその時に死にました。私のほとんど唯一の武器だった数学というものを放棄せざるをえなくなり、私は人に媚を売って下について生きなければならないと本気で思いました。

 

しかし、最初の退院後、数学の基礎論を数理哲学的にまだ丁寧に考えることはできる状況だったので、数学基礎論を独自に研究は続け、

「数学を数学ならしめているものは何か」についての答えを出すことに運よく成功。

答えは、「ルールが世界をつくる」に集約。

これが、普遍的にあらゆる現象を通るもののうちのこの因果関係の因を、捉えられた結果として処々の現象、を世界に反映させられ、それ故、現象学的真理を得た。と感じたのであります。

 

で、この現象学的真理をどうすれば良いのか?というところで、今、宗教を頼りにより真理に近づこうといいう試みにいるところで現在に至ります。

 

という、いつもの自己紹介とします。