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徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

闘病記から、生活訓練、社会訓練時の私について、

今回は、私の障害である「統合失調症」に患った後のことについて書こうと思う。

 

私は、高校卒業後、一浪して大学に入ったのであるが、大学を一年行って、進路の方向性が自分として納得いかず、一年休学し、その後親の猛反対もありながらも大学を中途退学。

 

大学に行かないとなれば、国民の義務である勤労せねばと思い、上京してアルバイト生活をしようと思った。その時は丁度、就職氷河期で、正社員などなれないと思っていたのでアルバイトでもいいと思ってやっていた。

 

アルバイト生活を東京でして住み家は、埼玉県で詳細は覚えておらず、あの時は酷い今でも続いている注察妄想に苦しめられていた。この時は直接的に私の生活を暴露されている感じで、今は報道の脚色の仕方で対偶的に現すように暴露されている感じです。

 

とまあ、あの時は免疫もついておらず、発狂してしまい、実家にどうにか連絡をして、実家に連れ戻され即精神科に入院。

 

私は入院したら楽になるだろうと思っていましたが、治療の仕方がとても荒く、薬漬け注射漬けで、頭の中がクリアだったのが混濁状態にされてしまい、簡単な因数分解もできなくなってしまい、簡単な計算も合わなくなるくらい頭がズーンとなるような感覚で過ごさせられてしまいました。

 

入院を私が受け入れる前には脱走して実家まで逃げ帰ったり、病院に連れて行かれて個室に閉じ込められて、ドアを滅茶苦茶蹴りまくったりと反抗もしました。

 

しかし、理性が崩壊。この時の武器は数学のみだったので、それを奪われてしまったので、私は他の人すべてに媚びへつらいながら生活しなければならないと思い、随分と腰を低くしながら生活をやり過ごしていた。

 

1度目の入院はそんな動乱もありながらも、その病院の当時の平均入院日数は3ヶ月から4ヶ月位だったので、私も3ヶ月で退院した。

それから、デイケアというものに毎日通いながら生活スタイルを健康に近づけようと、朝に病院に行って、デイケアを受けて夕方帰る。という生活が始まった。

 

デイケアではプログラムが午前と午後にあり、私は運動系よりは頭を使ったりするのが好きなので、心理教育ミーティングやSST社会生活技能訓練)などに主に参加していた。

 

初めの頃は病院も現在の新しい病棟前だったので、と言っても新しくなってからも10数年は経つが、旧病棟で数学の基礎論を一人で勉強したり、心理教育ミーティングなどで、心と認知についての事柄などを先生や他のメンバーの方たちと建設的に議論したりしていた。

 

余談だが、まだあの時の私は見た目が良い方だと、自分もナルシズムに浸るくらいだから自信があった。最初の恋人が告白して3日身辺調査を受けて付き合えることになったのだが、その告白スタイルでも負けることはないだろうとタカを括っていた。

 

今思えば、バカだと思うのだが、人間というのは内側が善なる心であるならば、所作に美しさが現れるものだが、私は格好だけだった。愚かだった。

 

とまあ、余談はいいとして戻す。

 

数学の基礎論でゲーデルの完全性定理、不完全性定理ウィットゲンシュタイン言語哲学などを一人で本を読んだり考えたりして、本当に一人で数学の基礎論を勉強していた。何の為という方向性は見えていなかったが、納得できる何かが出てくるまで考え抜いていた。最後の理性を振り絞って、、、

 

その結果、2001年5月13日早朝、ある言葉が睡眠中の私の頭によぎった。

「ルールがあるなら世界ができる」

これは、すぐに起きて書き残さなければ、これ以上の物凄い意味のある言葉をなくすと思い、飛び起きてルーズリーフに上の言葉と、このルールという部分を「音楽」や「サッカーのルール」という言葉で置き換えて、色んな世界を作れるということを書き記した文章を当時は丁寧に書けたので、綺麗な字で書かれていた。今読むと、、

 

私としては普遍的に通用する「真理」だと感じ得ずには居られなかった。

これ以上の発見は地球上誰も出来ないと思っていた。

(概念的なものなので、科学的ではないことは確かではありましたが、その共通原理を貫いていると考えていました)

 

しかし、それを発見してからは、この文章を盗用されるのが怖いということがあったので、発見してからどうすべきか考え、当時の主治医であった院長先生にカルテに書き残してもらうことにした。そのカルテは現在どうなっているかはわからないが、確かに言った覚えはある。

 

書き残してもらってからは安心していたが、誰も周りに評価を得ることもできず、それが埋もれたまま、しかし、私はこれに固執しながらの生活が始まった。

 

この真理の言葉を今は略せますが「ルールが世界を作る」(ほぼ同義)で、このルールというものが、現象的に何もかも現れているものは全てその直前からの連続体で時間軸を通って今の現象が現れるのだという短絡的な考えに堕してしまったのが、私の痛恨の間違いでありました。

 

現象というものは、何かの因果関係によって、原因が過去にあって、それによりそこから結果に続くまでの間に人々の目に止まる現象をその途中経過だけ見ていてはダメなのだということが、解りました。

 

ラルフ・ワルド・エマーソンの名言

「軽薄な人間は運勢を信じ、強者は因果関係を信じる」

というのに習い、因果関係を捉えようと今は学習中であったが、その一つの現れが上に書いた、現象学的に全ての事象を切り取るだけではまだ完全なる把握はならないということに気づいたのであります。

 

と、それは今の話なので、闘病生活の話に戻す。

 

私の中では偉大な発見をしたから誰かが私を見つけて高く持ち上げると言うタカを括った生活自堕落な生活が始まったのである。時間も相当に無駄にした、マスコミとの関係も悪くなるばかり、ルサンチマンと今は呼んでいるが、知っていながら私を取り上げないのは、あまりにも私への盗撮、盗聴が日常になっていたので、(その瞬間瞬間でやっていることに関係したCMを流したり、現在の様に報道に繋げることは幾らでも持っているテレビ局が暗喩的に私へルサンチマンの感情をぶつける為にいつも嫌味に脚色した報道を現在でも続けている)2chに「マスコミによる公開殺人されている」と、当時警察に捕まっていた極楽とんぼの山本のことを取り上げるスレッドに書き込んで、傾向が変わったりしていた。

 

これを読まれている方は、「こいつ頭おかしいんだな」と思われていて大丈夫です。

そう取られるのが山だからです。被害妄想や誇大妄想、最も強いのは関係妄想であるというのが病院での扱いでもあり、自覚もしているからであります。しかし、関係妄想で終われないくらい自分のことを踏みにじるルサンチマンが散りばめられたのがずっと続いているので、いつからかテレビをほとんど見ない時期も結構長い期間ありました。

 

そこまでテレビのことを思う前から、1人の美しいソーシャルワーカーさんに、恋をしてしまいました。この時も一目惚れから、ずっと想い続ける日々が続き、諦めるまで5年間その方に想いを寄せていました。

 

でも、自分がその人に恋に落ちてしまったことを告白させてもらう為に、結果3、4回正式にスタッフの前で機会が与えられたのですが、1回目の告白の後、すぐその人は結婚してしまうことに、、、それでも自分の当時のルックスと自分の勝ち得たと感じていた真理についてで、いつかは私のものになると、思い上がっていたのです。

 

それは最後の恋まで、同じ形で、、、

 

当時想っていたソーシャルワーカーの顔を見るのを楽しみにしながら、でも直接話しかけることも出来ず、出来たとしても変な事ばかり言ってしまうのもずっと続きながら、丸5年間。途中、一夜だけいまでも後悔しているのであるが本気で好きではない人と夜を共にすることに酷い嫌な感情がまとわりついたことも一度ありました。それからは、本気で愛する人としかセックスはしないと決めました。

 

その片思いを続けたソーシャルワーカーさんがお腹を大きくした姿を見て、私は一気に想いを止めることが出来ました。

「旦那さんに愛されているのだな。私は未練たらしい馬鹿者だな」

と思い興醒めもしました。

 

その後すぐそのソーシャルワーカーさんは病院を辞められ、今は知りません。

(ルックスは菅野美穂上戸彩を足して割った様な感じでした。)

 

その恋の終わり頃まで、私は病院に依存させられる様に構造がなっているのではないか?と病院に対する疑いも出ていました。それは、

「愛があるところに信頼が生まれ、信頼があるところに希望が生まれる」的な

哲学が治療方針でしたが、恋愛禁止だったので愛をある意味否定しながらだったので、ちょっと屈折したものを感じ始めたのと自立して生計を立てたいと思うようになったので、片思いで突っ走って入院になることも含めて計8回くらい入退院しました。

 

最後の退院から現在8年半くらいは経つと思うのですが、それから生活訓練として、援護寮と呼ばれる生活施設に2人一組で部屋をシェアしながら、援護寮訓

「思いやり、支え合い、助け合い」の精神に基づきまして、そこでは良い訓練ができました。そこでも、毎週ミーティングで日頃の問題事項や他のメンバーや私も自分の抱えている問題について語ったり、助け合って生活訓練をしました。

ここでの訓練は本当に良い訓練でした。

 

生活訓練の途中から、「ティア 風と虹の店」というレストランで、社会訓練、職業訓練を始めました。

 

そこで2年間、最後は苦手な接客に携わる事になって、人間関係で行き詰まり、同じ病院からも何人か行っているB型作業所へ転所して、そこでも約2年間行って、それから、一般企業の障害者枠で入ろうとWINGLEにて就労訓練に行くことを決意した。

 

そこで慣れないながらも、ビジネスマナーや事務処理の仕方や色んな厳しい訓練を重ね、それでもその時は自分はA型の企業しか無理だろうと思い、スマホタブレットアプリのテスター業務の企業に入社したものの、ある所のセミナーに参加し仕事の業務を行うのが難しいのと人間関係の行き詰まりでそこも退職する始末。

 

折角、WINGLEまで行ったのに4.5ヶ月くらいで退職してしまう始末。

 

セミナーは受けるべきではなかったと後悔した。

 

今も自己啓発のプログラムはやっているが、2度と同じセミナーは受けまいと思っている。というか、途中から来ないでくれと言われたのだ。こっちが金を払ってだぞ⁉️

怒りもあるが、二度と関わらぬと思うようにした。

 

まあ、ネガティブなものに対する接し方を勉強させられたと思い、それも勉強だと捉える事にした。

 

で、現在実家にて、「生長の家」の本を読みながら、宗教というものを頼りに自分を建て直そうと試みている。セミナーで精神疾患がぐちゃぐちゃになってしまったので、WINGLEで習った事もすっかり忘れてしまい。本当にエネルギーマスタープログラムを受けてみたらと言った奴を恨んでいる。クソ女と思っている。講師ではない。

講師はいい人であった。そのセミナーの前から知っていた人で「次はエネルギーマスターやね」と誘った奴だ。私のことをネガティブなものが取り巻いたのも多分、そいつのせいだろう。クソと思っている。

 

今の自己啓発プログラムも受けているような感じがしているので、その勉強会で顔を表したら唾を吐きかけたいくらいスカン奴になった。

 

と言うところで、現在に至る。

 

生長の家の教えはとても良い感じのポジティブな精神を養う善いものです。

教えの中に忘れていたものを取り戻せるものが一杯ある。

 

ネガティブ現在だけど、生長の家の教えで、ポジティブさを取り戻します。そして、ネガティブの扱い方を今までの経験でどう抑えるかを把握します。

 

さて、今回はこれにて、、、

 

See you again...

 

P.S.私の至った”真理”は「真如」と呼ぶべきか?「現象学的真理」と呼ぶべきか?

そこの天秤にかかったところで、また、、、