徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

病院を変えたい(泣)

今日は、定期診察のため、久留米まで行ってきました。

 

往復の電車賃、バス賃。痛い、、、

 

今回の診察では、主治医に病院を変えたい旨を伝えた。

そしたら、

 

「ご両親は、どうお考えかね?」と聞かれたので、

 

私はとっさに、

 

「私に任せると言っていました。」

 

と言ったが、主治医は、

 

「今度の診察に親を連れてきなさい。」

 

と言って、今回は終わった。

 

その後、母に電話。

 

「私は、のぞえに残ることで通すからね。」

 

と言われ、私は、

 

「反抗するからね。」

 

とだけ伝えた。

 

何故なら、今までずっと、私という当事者不在の自由の制限がこれまでもありずっと鎖に繋がれた状態から、脱せていないから、嫌だったし,

 

それに病院での人間関係や、雰囲気に馴染めないというのもあり、もう嫌気がさしてばかりだったし、

 

カムラックのスタッフも、はるかのスタッフも、

「たけしくんがストレスを感じるようであれば変わってもいいのではないか?」と

言って下さったところも、私の中では大きくなって変わらない。

 

本当に、のぞえとは腐れ縁になっていて、断ち切って新しく人生を始めたいという思いがとても強いのは、大野城市に移ってから益々大きくなった。

 

当事者の私の意思は全く聞き入れて貰えない。

 

母も母で、私が一応持っていた正気で実家まで脱走した時に、

母が「もう、入院なんてさせないから」という嘘で、

薬漬けにされて数学力という唯一の武器を奪われ、殺されるのも黙認していたし、

 

私のこの悟性を今でも信じていないようだ。実存主義的に考えて、もうやり直している最中なのに、そういう側面は見ないのか?

 

私も、のぞえに入院している間、色んなミーティングなどで随分貢献してたと思うのだが、それは私の手柄であって、それを病院側は吸収して、病識の蓄積も私は散々提供したと思う。

 

私は、そういうものを売ってきたのにも関わらず、母はそのことを知らないのであろう。

 

のぞえから、私ははっきり言って、吸い取られるばかりの期間であったのに「信頼関係があるから」という理由を母は判っていない。本当にいろんなミーティングで貢献してたと自負している。

 

でも、そんな期間をだらだら過ごしている間に、生きていくために必要な生き抜いていく強さをつけることを失わされていたことを、母はまだ実感していない。

 

のぞえにいいように言われているだけ、、、

 

障害年金の等級が3級に落ちたっていい。私はもっとやりやすいところで人生を再出発したい。

 

要らぬストレスを抱えずに済むようにしてほしいものです。

 

電車賃。バス賃。これだけでも一回行くのに2000円近くかかる。これは痛い。

 

で、上限額の上がった自立支援法、本当はそれも早く手続きしなければならないのだが、

 

今回は、手早く済ませて帰った。

 

腐れ縁を断ち切りたいものである。