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徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

「純粋理性批判」をWikiで見て、びっくりした!共産党体制について、、、

この間、友人のFBにコメントを書いた時に、「共産党の想像する構造」が「数学の構造」に似ているのではないか?という疑問が湧いた。

 

そこで、必要になると思った知識として、「純粋理性批判」をWikiで読んでみた。

内容が濃くて、私の今までの知識がなんと薄いものか?と愕然としたが、ところどころ、解るところで、考えてみた。

 

私は、もう年齢的にも理性を蘇らせることは不可能であるので、Wikiに書いてあった、悟性によって考えた。

 

私は、昔を振り返り、数学を学習していた時、自分の中で考えて(懐疑)答えを出していた。

 

ここで、懐疑ということなのだが、「(自分の)懐を疑う」と書いている。そういう姿勢からか?奇行が出ていたのだろうと思う。しかし、それを貫き通して数学的「解」を得ることに快感が生まれる。

 

でも、そういった姿勢でいたからなのか?何故か?自分の中の敵がいると感じていたし、いる。

 

そのような敵を共産党体制は、「社会的悪だ。」とみなしているように見える。

 

確かに、共産党体制はブレない。それだけ頑丈だ。それは合理性がかなりの精度のところまで来ているからであろうと思われる。

 

蛇足ですが、合理性が生まれるのは、懐疑的に考えて、無駄を省く道順があるからです。

 

しかし、人間社会はどう考えたって、完全な合理性では保たない。人間は言葉を喋ったり、相手を理解しようという心があるから、建設的な関係になったり、敵と見なしたりする。。

 

でも、そのような不完全性が、そうコミュ力によって、人間社会を病ませる、自然も病ませてしまうのである。

 

もちろん、共産党体制としては、ノーマライゼーションやよりよき社会へと考えるであろうが、「仮想的な敵」を作らなければならず、それが昔で言えば、同和問題や差別などがあった。共産党は資本家を敵とみなしているらしい。

 

仮想的な敵 = 差別された人 と立てたのは、私の構成が正しくはないと思います。ごめんなさい。

 

話を変えます。そういう仮想的な敵を作ってきた歴史は厳然と他ださねばならないと私も思う。また、そういう合理性を持つことも大事で、どちらも大切にせねばならない地点だと思う。そこが、今話題の「ダイバーシティー」の地点かと思う。

 

「性別と恋愛の形」今、この地点では成熟期に入ろうとしてるのでは?と感じる。

 

ダイバーシティーというのは「多様性」という意味なので、もっと範囲は広い。

 

今、人間は狂っていると感じる。自分たちの利益のことばかり考えているように感じてならない。動物たちの方が、より感情を表しているように感じる。それも正常な。

 

これは、ジャミロクワイが予想していたようなことなのであろうか?

「Virtual Insanity」私はこの曲を聴いていた時(高校時代)「仮想空間的な不正気」と訳していました。つまり、「コンピューターが高度に進化しすぎて正気を失う」と思っていた。

 

そのような仮想的な敵、精神病(と今、辞書見たら書いていた)を私は数学をしていた時で、「ここを潰されたら、私はおかしくなる」と思えた理性は崩壊させられたと感じていた。が、可塑性的に人を人柄で判断したいのだが、私は学習タイプは数学のチャート式の勉強法が一番向いていると思っているので、プログラミング言語を私は身につけていこうとこれからも日々、邁進と思っている。

 

と、私事になってしまいましたが、、、

 

共産党体制 = 数学の構造。と感じた、最近でした。

 

ではでは、また、、、

 

I'll see you next time...