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徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

人間関係ってなんだろう?ビジネスライクを保つために、、、注察妄想の答え。

今日は、少し人間関係っていうものを、僕はとても苦手なのだが、考えるものではないが、今思っているうちを書こうと思う。

 

私は、青春時代、まさに高校時代を「数学」に費やした。これは、何度もここで言っている。

 

それ故、感情というものには鈍感だった。0%か100%という、「ある」か「ない」かで、考える癖がついてしまい。

 

後半生をその可塑性を直そうとしているが、どうしても常に敵がいるように感じてならない。

 

最近の若い人たちは、完全に人を信用できたりするように、テレビとかネット上とかでも見られて、私には好印象を抱いている。

 

しかし、私は少し引き気味に場を見てしまい、私自身の顔も体の大きさも、強そう、怖そうと思われているのかも知れないが、それ故なのかなぁ?

 

短髪でもあり、変なおじさんと見られているかも、でも変なことはしないよ。

 

ってここで書いても、しょうがない。

 

私は、人がいると落ち着かなくなる?のかなぁ?その人に合わせようとする気持ちがムクムクと湧いてきて、つい遠慮気味になってしまう、そういう繊細な男なのだ。

 

でも、その繊細なところと、思いっきり大馬鹿な全く勘定の合わないアホな一面も持っている。

 

繊細な時でさえ、答えを間違えやすい。

 

というか、その答えというのは、他の人大勢の思うところということなのだ。

 

これは、障がい上そうなのだと自覚はしているものの、人と違うことが、私にとってはコンプレックスというか?居心地が悪いのです。エゴかもしれないが、人と違うから良いじゃないか?と思う成功者もいるだろうが、私はその他大勢に加わって、みんなの注目から離れたいのだ。

 

人間関係全般について書き始めたのに、いつもの私中心主義になっている。戻す。

 

メラビアンの法則というものを、皆さんは知っておられるだろうか?

 

これは、感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、

人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、

話の内容などの言語情報が7%、

口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、

見た目などの視覚情報が55%の割合であった。

この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。

「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」

の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。

 

また、

 

この実験は「好意・反感などの態度や感情のコミュニケーション」において「メッセージの送り手がどちらとも取れるメッセージを送った」場合、「メッセージの受け手が声の調子や身体言語といったものを重視する」という事を言っているに過ぎない。

 というのを引っ張ってきたが、何を伝えたかったのか?うーん

 

私は、声の特徴やその時のその人の態度よりも、話している内容がつじつまが合うか?の方に、意識が行き過ぎてしまう。つまり、メラビアンの法則とは反対に動いてしまいがちなところがある。

 

理論的、論理的、科学的に正しいかの方で立証できるものであれば、注意深く聞きたいができず、人文学的なものであれば心理的にしか判断しようがないので、自信を持って話されると、そうなんだとあっさり受け入れしまいがちで、不注意なことが多い。そう言った時点でよくその他大勢に加われない、孤立したコジカになってしまう。

 

私は今でもプライバシーが得られない状態に立たされ、きつい思いをしているのだが、同級生のように、愛する家族を持って、そのために働き(多分、共働きになるだろう)、苦楽を共にした、家族を大優先する夫になりたいと夢見て今も、WINGLEに通所している。

 

最初の話題はなんだったか?

 

ここで、メラビアンの法則後について、思い出したことがある。

私は、最も重要な局面になるのに理解するのが難しくなって、ついて行けなくなり、逆の立場クロージングってのかな?が難しくなる傾向がある。つまり、言葉のつじつまを見抜く上で、慎重に聞こうとしたら、他のところから大きな音が出てきたり、話がコソコソ話に変わっていったりと、ここに関しては、私ほど開示的に皆んなに見せないほうが良いのかなとも思うのだが、いつも暴露される、マスコミに、、、くそと思う。若者が羨ましい。

 

爆弾を次々投下され、やけくそになってテレビのブラウン管を踏んで8針縫う怪我をしたこともある。

 

人と違うことをしてしまう。でも、私は後半生を生きて、経験則が少しずつ身につき、思えば、健常者の方も「経験のあることをしているよ」と教えられることもありました。

 

一極集中では、なくなりつつあるのかな?とも思っていいのかな?でも、テレビを見ると不快な思いをすることは度々ある。その時は消す。

 

人を小馬鹿にして、それを笑う。その小馬鹿にされるキャラを私に重ねるようにして、、、

 

これから、就活を続け、いずれ就職し、健常者の中で一緒に働いていくうちに、対面して話す。その時、私はビジネスライクでいれるかどうか?そこは、私もまだ自信がない。

 

つい、人の噂話をそのまま違う人に言ってしまいそうで、昔のように当事者には言わないが、つい加害者側になってしまいそうで嫌である。

 

嫉妬や妬みで生きていくのが苦手な私は、ダークな話題や、ネガティブなことは、かなり避けたい身なのである。

 

今回は、ビジネスライクに話せるか?について書こうと思ったけれど、

まだ、現状の私では、少し引き気味かな?と午後帰ってからWINGLEのスタッフさんにアドバイスを受けたので、少し影響を与える(それが私にとっては嫌)も覚えないといけないのかなぁ?と思った。

 

なんで、私は人に影響を与えることを拒んでしまうのか?

 

私は、病院でイタイ人を見過ぎたのかもしれない。また、ミーティングなどがあると、反対意見に耳を傾けられなくなった一面も残っているのかもしれない。

 

統合失調症は、寛解したと思っていたが、私はメラビアンの法則上で、現在かなりVervalの面が幻聴と重なるのだ。周りで話している内容自体が、私にとっての脅威。それ故、他人に私の基準を持って接してきたのかもしれない。

 

意味がお分かりでしょうか?

 

つまり、前までは周りの人の視覚、聴覚で幻聴と連動していたのだが、今は言葉で連動している、つまり、言っていることが私のことのようで仕方がない。再発していても、これは注察妄想のことなのかも知れない。今、答えが出た。

 

今日は、冴えているな。

 

注察妄想とは、周りの人の言っていることによって、私のことを言っている気がする。それ故、監視されていると感じたり、周りに自分のことが言われていて気分が嫌になるのだ。

 

だから、逆の立場で、人に加害者になりたくない。影響を与えたくないと考えがちなのだ。


もう、そこは乗り越えないとな。

 

私の場合、注察妄想の笑い声が気になるけど、シンクロニシティと割り切ったり、強気で臨んでいくしかないかな?とも思った。でも、謙虚さと素直さ。あと、相手への尊重の気持ちは失いたくない。それによって、信頼は増えたのだから、これからも、好感を持たれるような人間でありたいからだ。

 

今回はこれにて、、、

 

I'll see you next time...