徒然なるままに…

このブログは、私の徒然日記を書いて行こうと思います。

法則の気持ち

私は創造命題「ルールが世界をつくる」と思っている。

ルールは各々の中にあり、それらは違い、各々の世界を作り上げている。

法則はその環境上で効果が見込める、徹底した客体世界側からの強制である、主体である法則が容易に生き残れる場合のみ生き残るサバイバルなのである。客体世界で主体の容易に生き残るものが法則である。徹底した否定の世界の中で生き残れる場所が法則である。そこには徹底した生がある。生きることに一生懸命なのでその法則は容易に崩れない。

人間に法則は通っているものもあれば通っていないものもあると考えている。

科学的法則には確実に依拠しているし、社会法則には外から見た視点で自分に当てはまるか当てはまらないかに分かれる。科学的法則は根源的で、社会法則は俯瞰的。

こう考えると、科学にも生がある気がする。

法則からは考えられない生は奇跡だと思う。

 

霊性による作用

「日本的霊性鈴木大拙著。から私なりに解釈すると、

霊性によって、人は「意味づけ」をするみたいだ。

人は感性と情性という作用と知性という作用があり、知性は分析とほぼ同義で、霊性によって自分の生活を肉付けする意味づけを行うみたい。意欲も後押しをしている。

上と下では見えるものが違う。地上で遠くを見渡そうとしても難しいが、上空だとたやすい。あまりにも上に行ってしまって地上を見下ろしたものが、つまり神が、地上で否定の連続を味わわないと上から見た景色を持ちつつも下での現実と向き合い、神自身の霊性の成熟を図らないと本当の神にはならないらしい。

これは別から持ってきたものだが、「人間が最も人間らしくあるとき、神に見える」と聞いたことがある。この言葉には人間は神を含んでいるとも私は感じる。神らしくない人間は人間らしくない非人間ということも言っている気がする。この言葉は神に近づくか?非人間に近づくか?という極論にも聞こえる。神に近づくというのは人間に近づくことである。

政治家の優先順位

私の思うところの政治家の優先順位

国土>国民の命>国民の安全安心>国民の教育>国民の経済財産

王族の正統伝統。国民平等主権。自生力育成。思想、信条、言論、選択の自由。富国強兵が弱者救済。

いじめ

枠があるといじめは起きるらしい。

そうすると、世界という枠は抜け出れないので、いじめは必ず存在することになる。

 

学校のいじめの実態に対し、いじめ防止対策の運用でまだ成熟がまだ達していないのでは?

橋下徹さん、いじめは9割はいじめる側が問題ではないそうな。いじめる側が抑えることができなかったら、どういじめを抑えるのだ?私は納得できない。いじめる側の心の問題かな?いじめられる側の心の避難所は納得できる。

 

いじめられる側は絶大な求心力が強いのだろう。いじめる側の無能さをただひたすら受けて、自死に追い込まれるかどうかだろう。私はいじめる側が100%悪いと思う。いじめる側の心の修養しかないだろう。心がおさまらないからいじめるのだろう?

 

#そこまで言って委員会

秘密

通信の安全性について考える。

外部から遮断された空間でお互い顔を合わせてコミュニケーションする場合は、自分か相手が秘密を漏らさない限り、そこでの内容は安全。

外部と接触している空間では、自分と相手の送受信の際、

郵便の場合は送受信元はわかってしまうが、その内容に関しては封をすれば安全。

送信箱、受信箱が自分で鍵を持っていたとしても、その鍵が破られる場合、そこから秘密は漏れてしまう可能性がある。

二人の子供をもうけたとしても、その子の遺伝子から秘密がばれてしまうことから、そこが不完全性定理の言っているところかと思うが、二人の正式な子供なら二人の世界の正統な権威付けになる。詳しく言うと、証明も反証もできない謎が残ることが不完全性定理だが、この場合は、遺伝子検査という人間のテクノロジーの勝ち(100%という数字が出るなら)。

警察官の苦労

こうも犯罪者とばかり付き合わされちゃ、精神がまいってしまう。

警察官の方たちのご苦労は頭が下がります。

朝から嫌な気分

今日は午前中に好きな人とメールをしていた。

その内容をワイドナショーは傍受し、放送内容に反映していた。こき下ろす形で。

フジテレビは私の家に初めて侵入し、めちゃイケで精神崩壊させた嫌なテレビ局。

メールのホストの利用規約を読むと、悪意を持った利用者は排除できないので、と書かれてあり、漏れることも自己責任ということだとわかった。

通信は郵便が内容は安全。

その後、他のテレビ局も追随し、個人情報をあげつらい血祭りが再び。

地獄の再開。

もう嫌。